七宝の歴史は武器、ガラスが作られる頃に、自然発生的に生まれたと考えられています。(古代エジプト、中国からも出土)各国では「エマイユ」「クロゾワネ」「エナメル」と呼び、日本では「七宝」と言い、仏典からきており「金、銀、瑠璃(ガラス)、硨磲(二枚貝)、瑪瑙、玻璃(水晶)、珊瑚又は真珠」を指します。
日本最古の七宝は奈良明日香牽牛子古墳出土の「亀甲形七宝金具」と正倉院の花弁形の「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」があります。宇治の平等院の金具、鴨長明の折箏、小堀遠州は建築飾、茶道具にも使用しました。
その頃、京都の金具師平田彦四郎道仁なる人物が登場し、半透明釉薬を使い幕府に抱えられ、明治には勲章製作へと移って行きました。
近代の七宝は明治初めに名古屋の梶常吉が取り組みだし、その後ドイツのワグネルが工業化学を日本に紹介し透明釉薬が生まれ京都には並河靖之(有線七宝)東京では涛川惣介(無線七宝)が登場し、尾張七宝(省脂七宝)と共に世界万国博覧会へ競って出品し、金賞、銀賞を多く獲得し日本の七宝を世界に広めました。
現代の七宝は、どんどん多様化して平面七宝、装飾品、皿へと移ってきています。個々に紹介する七宝技法以外に約10種類ほどの技法があります。